概 要
太田頭首工及びその関連する主要な施設(基幹施設)については、待矢場両堰土地改良区と三栗谷用水土地改良区の組織による「渡良瀬川中央土地改良区連合」が昭和61年2月8日に制定され発足し、国から管理委託を受け、施設管理を行ってきました。
平成8年度からは、基幹水利施設管理事業によって、国に代わり、群馬県から操作委託を受け、渡良瀬川中央土地改良区連合が操作及び一部管理を行っています。
現場での管理は、群馬県太田頭首工管理規程、渡良瀬川中央土地改良区連合維持管理計画書等に基づく通常管理・操作の他、大雨注意報・警報等の気象通報発令時の緊急対応などを行っています。
渡良瀬川中央土地改良区連合の組織図
太田頭首工造成経緯
太田頭首工造成前は、渡良瀬川上流から順に待堰・矢場堰・三栗谷堰が設けられていました。その歴史は大変古いもので、古文書によれば、この3堰は元亀元年(1570年)に新田金山城主・由良信濃守成繁の命を受けて造成されたと記録されています。しかしながら、待堰下流部には奈良時代のものとされる遺跡・水路跡が発見されており、待隻の起源は飛鳥時代(700年前後)まで遡ることができます。
矢場堰は、新田岩松家の家臣であった矢場氏が永正年間(1504年~1521年)に、領内を灌漑するために築造されたとも伝えられています。江戸時代には下流の借宿堰を含め「渡良瀬四堰」と呼ばれ、幕府が著勝管理していました。
太田頭首工は、渡良瀬川に設けられていた待隻・矢場堰・三栗谷堰の三堰を1ヶ所に合口し永久的に安定した取水が確保されるよう築造するもので、渡良瀬川流域では最大規模の頭首工です。
頭首工は河川状況、受益地の位置等を考慮し、必要な取水機能並びに堤体工等構造上の安定が確保でき更に、維持管理に便利な地点であることから待堰上流約70m地点を選定し、築造されました。
施工方法は、施工に先だち左右両岸に資材運搬用の仮設道路を設け、河川内工事は需要期を避けた11月~5月に渡良瀬川を半川締切で行い、第1期として右岸側本体工並びに左岸護岸工を施工し、第2期は左岸側本体工を施工、第3期は右岸護岸工、河川外工事として管理事務所の新築及び粗流沈砂池、排砂樋管を施行しました。
関連施設
- 太田頭首工
- 国営渡良瀬川沿岸農業水利事業(昭和46年~昭和59年)により造成された頭首工です。同事業では、渡良瀬川に3頭首工(大間々頭首工、太田頭首工、邑楽頭首工)が造成され、その中で最大規模を誇ります。造成以前には待堰、矢場堰、三栗谷堰の三堰がありましたが、それらを1ヶ所にまとめ6,640ha(当時)の水田用水を抜本的に合理化し、永久的に安定した用水が確保出来るように築造されたものです。
- 太田沈砂池
- 太田頭首工から約2.5km(太田幹線)下流に位置し、幅4mの水路を6連設けることにより、流速を落とし、粒径6~0.25mmの土砂を対象に沈降させるように設計されています。
山地流域からの流入量の大部分を排除する必要もあることから、沈砂池と放余水工を兼ねています。
- 矢場分水
- 太田幹線水路の最末端に位置し、太田頭首工から最初の分水工であり、ここから新田堀幹線、矢場幹線の2系統に分水しています。。
- 小瀬墓分水
- 写真右側は、三栗谷用水土地改良区の受益地へ流れていき、左側は、太田市を通り邑楽町、館林市へ流れていきます。
渡良瀬川中央土地改良区連合 配水計画
令和6年度の配水計画が令和6年4月25日の理事会において定められました。【令和6年度 配水計画】(PDF)
渡良瀬川中央土地改良区連合 財務状況の公表
※第38回臨時総会議案書より(抜粋)【令和3年度 財務状況】(PDF)
※第39回臨時総会議案書より(抜粋)
【令和4年度 財務状況】(PDF)